情報社会のユニバーサルデザイン

個人的なことだが、放送大学最後の2単位に、「情報社会のユニバーサルデザイン」を受講した。その通信指導を先程、Webから済ませたところなので、この関連です。

Webに限らず、コンテンツが最も大切だが、WEBデザインが全く関係ないかというと、もちろん大切である。デザインといってもWebをパソコンで閲覧する割合よりも、スマホやタブレットのモバイルデバイスから閲覧する割合が半数を超えているそうだ。テレビもPCモニターも、画像サイズは4:3からワイドスクリーン(16:9)に切り替わって久しいが、そのまま4:3のままのホームページがまだまだあるし、PCサイズのホームページは、スマホ非対応でははみ出したり、細かいレイアウトは見にくい。これはこれまでのHTMLによるホームページでは、PC、スマホ、あるいはタブレットと別々にレイアウトを用意しなければならないので手間がかかる。これを解消する仕組みがレスポンシブデザインといわれ、PHPと書式を指定しておくCSSによって、自動的にデバイスに合わせてレイアウトを生成するWordPressなどのCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)である。
これもユニバーサルデザインである。デザインといえば綺麗なホームページや芸術的なものを考えがちだが、ホームページ管理者や作り手側の趣味嗜好という送り手側の観点ではない。

「情報社会のユニバーサルデザイン」 (放送大学教授 広瀬洋子・放送大学客員教授・同志社大学教授 関根千佳両氏共著)によれば、

「ユニバーサルデザイン」とは、ものづくり、まちづくり、障害者や高齢者が利用しやすい家具や食器、太った人も痩せた人も着られる衣服、、、年齢や性別、能力や背景にかかわらず、できるだけ多くの人が使えるよう、最初から考慮して、まちやもの、情報やサービスを作るという考え方であり、そのプロセスである。

様々な情報のやり取りは、現代を生きる人々にとって欠くことのできない生活の一部となっている。インターネット、携帯電話、今や情報通信が社会の基礎となっており、それらを円滑に利用できない事は大きな社会的不利益をもたらすことに繋がる。この情報社会の中から、誰も取り残されないようにするためにもユニバーサルデザインという考え方を基礎にした情報社会の構築が求められている。
(中略)
今は自分とは関係ないと思っておられる人にとっても、障害のある人が円滑に情報を利用し、その意志を表示できるような利用しやすいパソコンや情報技術の普及、放送の利用等を開発することは、4人に1人が65歳以上であるという我が国において決して他人事ではないはずである。

(中略)

ユニバーサルデザイン、バリアフリー、アクセスビリティ、ユーザビリティ、コミュニティなど、多くの人にとって、最近良く耳にするけれど、明確に理解しているわけではない。バリアフリーは、現実に不便さの原因となっているバリア(壁)を取り除こうという考え方である。ユニバーサルデザインとバリアフリーは、誰もが快適に暮らせる社会をつくるために、お互いに補い合いつつ進んでいく関係である。

もうひとつ大切な概念、アクセスビリティは、レストランや施設のWeb上の「アクセス」をクリックすると、地図や交通経路が示される。交通が便利な場所アクセスが良いと言うが、「アクセスビリティが確保されている」とは、その地点に到達できるだけでなく、それを利用し、目的を達成することが可能である事まで含まれる。テレビ放送のアクセスビリティと言った場合は、画面がよく見えない人のための解説サービス、音声が聞き取れない人のための字幕サービスなどによって、放送の中身を理解する事ができることである。

ユニバーサルデザイン、バリアフリー、アクセスビリティの目指すものは、多様な人々が誰一人取り残されずに生きられる社会を目指していると言える。

パソコン環境は、Windows、OSX(Mac)で誰でも使いやすいように改善を繰り返しているが、スマホによりアイコンを押すだけで使いやすい環境をもたらし意識せずインターネットやコンピューティングが生活に溶け込んでいる。これもユニバーサルデザインである。
漢字が読めない子供や日本語の分からない外国人でも、道路や交通機関、トイレなど公共施設などをイラストで表示する、道路標識・ピクトグラムもユニバーサルデザインの一種である。

個人で今地元区の事務長を仰せつかっている。区公民館や公園のトイレなどピクトグラムを増やしている。

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区公民館玄関靴置き場表示

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まゆ公園トイレ

 

 

ユニバーサルデザインの7原則

ユニバーサルデザインの概念を提唱した、ノースカロライナ州立大学ユニバーサルデザインセンター所長 ロナルド・メイスは、ユニバーサルデザイン7原則を次のように述べている。
原則① 誰でも公平に利用できること
原則② 使う上で自由度が高いこと
原則③ 使い方が簡単ですぐわかること
原則④ 必要な情報がすぐに理解できること
原則⑤ うっかりミスや危険につながらないデザインであること
原則⑥ 無理な姿勢をとることなく、少ない力でも楽に使用できること
原則⑦ アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること

彼はアメリカで初のアクセシブルな建築基準の策定に関わり、1973年のノースカロライナ州の建築条例となり、他の州にも影響を与えた。彼がユニバーサルデザインという考え方に気づき、広め始めたのは、1980年代の初めではないかと言われている。

ヨーロッパ、特に北欧では、多様な人々と共に生きていくという思想が早くから定着していた。

ノーマライゼーション

デンマークのニルス・エリク・バンク・ミケルセンは、1959年法において、初めて「ノーマライゼーション」という言葉を提唱したとして知られている。特に、知的障害を持つ人々に対し、それまでの分離・隔離政策ではなく、市民の一人として、普通の生活を家族と共に送ることができる概念である。住みたいまちで普通の生活をおくることが重要だと考え、当事者が、ヘルパーやボランティアの力も借りて、グループホームや自宅で暮らし、地域の中で生きていくことを、ノーマル(自然)なこととしたのである。この考え方は、それまで障害者や障害者や高齢者をへんぴな場所の施設に閉じ込めていた行政に、大きなインパクトを与え、世界各地で施設解体へとつながっていった。

その後の国連における一連の障害者の権利宣言の基礎となり、1975年の「障害者の権利宣言」や1981年の「国際障害年」、1982年の「障害者に関する世界行動計画」の採択へとつながっていった。この流れはアメリカ・カナダにも紹介され、その後のユニバーサルデザインの概念形成や、ADA(障害を持つアメリカ人法)にも影響を与えた。

デザインフォーオール

ヨーロッパにおけるユニバーサルデザインの同義語として、デザインフォーオール(Design for All)が挙げられる。1990年代の初めごろからヨーロッパで普及してきた概念で、生活する上での環境や利用する製品などを、あらゆる人に使えるものにしていこうという考え方は、ユニバーサルデザインとほぼ同じである。ここでいうオール(All)、すなわちすべての人という言葉には、あらゆる年齢、状況、背景の人それぞれを含めており、そのような多様な人々の利用を、最初から考えて、まちやものをデザインしていくという意味合いで使われている。EUの中では、特にICTに関してこの用語が多く使われており、2002年に設立されたEdeANは、EU各国におけるICTをよりユニバーサルに、アクセシブルにしていくための推進機構である。2012年の時点では160を超える国や組織が参加している。

ただ日本では、このAllという言葉が「みんな、あらゆる人、多様な人がそれぞれに」という本来の意味ではなく、「全員」と訳されたゆえに問題が生じた。Allとは、全員が同じになることではなく、多様な人の利用を考えて、という意図であったのだが、日本ではその意味するところが正しく伝わらなかったと思われる。

インクルーシブデザイン

EU全体ではデザインフォーオールという言い方が一般的であったが、イギリスでは、少し違うインクルーシブデザインという言い方がなされた。1990年ごろから、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アートのデザインエイジというグループが提唱した概念である。多様な人々、特に高齢者の利用を考えて、製品やサービスをデザインするための手法を提案した。

ユニバーサルデザインの2大要素

ユニバーサルデザインには、基本的な構成要素として、2つの重要な概念がある。アクセシビリティとユーザビリティである。

アクセシビリティ

アクセスできるという意味の英語で、例えば、駅から市役所までのアクセスという場合には、どのように行けば良いか、交通機関は何が使えるか、何分ぐらいかかるか、といった手段や所要時間を指す。そこへ到達できるというだけではなく、そこでの目的が果たせるまでを含む概念である。市民が市役所へ用事があって行くのであれば、市役所の建物に到達し、目指す課まで行き、書類に記入して目的を終えるところまで、アクセシビリティが確保されていなくてはならない。だが、今の日本では、ある場所へのアクセスとは、単に建物への到着経路という狭い意味で使われる場合も多い。

Webサイトのアクセシビリティの場合は、もう少し広い本来の意味で使われており、サイトを利用した目的を果たすところまで含む場合も多い。

ユーザビリティ

ユーザビリティは、一般的に「使いやすさ」「使い勝手」と訳される。ユーザーにとっては、その目的がストレスなく使うことができ、使っていて快適であるという状態を指す。例えばデパート内のフロア案内図があまりにも込み入っていて分かりにくかったり、リモコンのボタンの意味がわかりにくく、つい誤動作をしてしまったり、というのは、すなわち「ユーザビリティが低い」のである。必ずしも障害者や高齢者に限らず、どんな人にとっても、使いにくいもの、使いやすいものは存在する。どのような形、色、見え方、動き方であれば、より、多くのユーザーにとってわかりやすいかを決める上で、欠かすことのできない知識である。

米国で1986年に成立した「リハビリテーション法508条」は、公共調達における機器のアクセシビリティを求めるものであり、これを受けて、IBMやマイクロソフト、アップルなどにおいては、アクセシビリティを推進する専門の部署が設置されている。1998年に強制法規として改正され、2001年に施行された。公共機関が購入する全てのICT機器(パソコン、ソフトウェア、電話、コピー、FAXなど)は、アクセシブルでなくてはならず、情報を提供するWebサイトやアプリケーションサービスは、アクセシブルでなくてはならない。そうでない場合は提訴されるというものである。障害を持つ職員も多数存在する米国では、異動や転勤でその職員がどこへ行こうとも、その日から仕事が出来なくては意味がない。そのために、ICT機器やオフィス機器、情報通信機器やソフトウェア、Webサイトは、どこのものも、アクセシブルであるべき、というのが制定の理由である。「通信法255条」も同年に施行され、情報通信事業者が機器を作る際のアクセシビリティ基準を設けている。

これらの法整備の結果、米国におけるICTアクセシビリティは、劇的に向上した。

(中略)

これらの法律によって、アクセシビリティやユニバーサルデザインを推進することは、企業にとって負担ではなく、むしろ企業戦略として大変重要であるという認識が広まった。この考え方は、その後、新たにICT分野に現れた各企業でも当たり前のことと受け継がれた。AmazonやGoogleなどの企業が、アクセシビリティに配慮したネットサービスを展開するのは、当然の義務である。kindleやiPadが、アクセシビリティに配慮した製品になっているのも当たり前である。公共調達のみならず、ICT利用者の年齢層の広がりから、自社の機器やサービスがアクセンシブでないと、大きな市場を失うということがわかっているためである。

その後、放送における字幕の義務化(2006年)、放送やインターネットにおける動画配信のユニバーサルデザイン(UD)を義務化したCVAA*1(2010年)など、情報提供を行うものは、アクセシビリティが前提である、という意識に基づく法律が、米国においては続々と出されている。この結果、機器はアクセシブルであり、かつユーザビリティの高いUDが前提となったため、年齢を問わず使いやすい機器が出回るようになった。電子書籍リーダーKindleの購入者層は、3割が60歳以上、5割が50歳以上であると言われている。現在のシニアは、本を読むのが好きな層であるが、高齢化に伴い、紙の本では小さな文字や図表が読みにくくなっていた。電子ブックは、図表や写真を自分の見やすいサイズに拡大して見ることが可能であり、美しい音声合成で読み上げてくれるので、シニアには、大変アクセシブルなのである。iPhoneやiPadも、最初から多くの関連企業にアクセシビリティの機能追加を依頼しており、発売と同時にさまざまな支援技術がダウンロードして使えるようになった。このような動きも、リハビリテーション法508条の結果である。

 

以上、上記の教本からの引用であるが、今日のテレビやエアコンのリモコンの使いにくさは、電気製品やパソコン等に子供の頃から慣れ親しんできた私の年代でも、使いにくくむしろ腹立たしくなることもしばしばある。地上波でせいぜい7チャンネルしかなかった頃と違い、地上波・BS・CS・ビデオと分かれ、目的のチャンネルにたどり着くまで時間がかかり、普段は使わない画面表示切替え、dボタン、赤・緑・黃など選択ボタン等が小さいリモコンに羅列されている。しかも番組は低俗化して、地上波すら7つも存在する価値がないにも関わらずだ。このメディアの低下と既得権の話は別にしたいが、ユニバーサルデザインの2大要素から、全くかけ離れている例である。番組の低下とテレビ離れはますます進んでいる。家電メーカーもこれは十分意識しているのであろうが、それよりもテレビ局や総務省の都合で本来は最も重要なユーザーのアクセシビリティとユーザビリティが最後に置かれている。世界のテレビ生産のトップを走っていた日本の家電メーカーも、安価な隣国のテレビ生産にも影響を受け、テレビが売れなくなり、誰の得にもなっていないのである。

元々、ユニバーサルデザインは、身障者や高齢者に限らず、「年齢・性別・能力・体格などにかかわらず、より多くの人ができるだけ使えるよう、最初から考慮して、まち、もの、情報・サービスなどを作るという考え方と、それを作り出すプロセスのこと」である。

Webをはじめ、まち中や公共施設、店内の案内サインやしいては、一般企業の店内のPOPやショーカードにおいても、誰にも分かりやすくするということが当然の義務であるとする考え方は、負担ではなくユーザーのみならず、その企業にとっても極めて重要戦略でもあり企業にとっても有益なことなのである。

*1 正式名称は、「21世紀における通信および映像アクセシビリティ法2010年版」

まあ、一般的にはそんな大そうに考える必要もないが、利益を追求する立場であれば、利用しにくい、情報がない、見にくい昔のままのWebを放置していることは、宣伝にも何にもならず、むしろユニバーサルデザインとして、企業イメージにとってデメリットであり、誰しもが見られないデザインでは、企業や公共機関としては、日本でもやがて許されるものではなくなってくる。

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